無知の知 2つの解釈

ソクラテスの「無知の知」は有名ですよね。

私は以下の2つの意味があると思っています。

①自分が無知であることを自覚することでさらに学ぶことができるようになる

 これには日本人の名言でも同じようなことを語っています。太原雪斎「おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。」人はたくさん経験して、たくさん学んで満足していいと思います。それは大切なことです。しかし、そこで過度な自信がついて学ぶのをやめてしまうと視野が狭くなり、自分は何でも知っていると勘違いしてしまうんですよね。よく、何でも知ってそうな人に、「君は何でも知っているね」と声をかけると、その人は「なんでもは知らないよ、知ってることだけ、」と返答が返ってきます。

②自分の考えや知識が正しいと思うな、常識を疑え

こんな名言があります。「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」byアルベルトアインシュタイン

他にも「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」これは、私が好きな名言です。

自分にとって「正しいこと」は違う人にとって「悪いこと・良くないこと」なのかもしれない。これはすごく難しいですよね。生まれ・育った環境や関わる人間によって価値観は違ってきます。また、国や宗教によっても食べてはいけない・触ってはいけない・殺してはいけないなどの習慣:慣わしが存在します。

この世は、前提を置き事象が成立しています。そのため、新解釈が生じることも当然なことだと思います。

人は一人では生きれません。必ず相手・対象が存在します。相手の立場に立ち、相手を思いやる気持ち、相手を知るということ、これが大切だと考えます。